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むさし
投稿日時:2008/08/25(月) 15:35
昨日、ばななちゃんの訃報を知りました。
それから、過去のこと、犬達のこと・・・、色んなHPを見て、色んな事を考えていました。
今の我が家の犬達のようなスタイルになったのは、ここ4~5年のことで、それまでは犬は飼っても家族と
いうよりはペットに近かったと思います。
我が家が犬達を家族として生活をするようになった、あるきっかけがあります。
あまり人にも言ってきませんでしたが、それは ”むさし” という障害のある犬を飼ったことがきっかけでし
た。助けたい一心で、どんどんのめり込んでいきました。途中から、完全に私の子どもになっていました。
むさしの世話が主になり、家族も、家庭も崩壊寸前になっていました。
それでも私は、むさしを助けたいばかりを考えていました。それしか考えられませんでした。
今日、その話を書いてみようと思います。
長くなりますが、もし良かったら読んでみてください。
ボルドーマスティフのむさしは50日で我が家に来ました。
一目惚れでした。何日も何日もお店に通い、「今日お店に居たら運命、売れて居なくなっていたら縁が無かったと諦めよう。」と決めてお店に向かったその日、むさしは可愛らしい瞳で私を見上げ、私の胸に抱かれたのでした。
でも家に来たむさしは、走れませんでした。子犬特有のピョンピョン跳ねるような動作で楽しそうに前に進むと、きまって前足の手首を折るように前のめりに転びました。「何でだろう、変だな・・」と思いました。
また、むさしの乳首は、左右対称ではありませんでした。片側の乳首が、雪崩を起こしたようにずれていて、数も足りませんでした。「お母さんのお腹の中にいる時、何かがあったのだろうか?」と思いました。
むさしは、犬らしく「走る」という経験を一度もしないまま、痛い、苦しい思いをいっぱいして、最後はてんかんの重積発作で一才四ヶ月という短い生涯を終えました。
何とか元気に、走れるようにしてあげたい・・と願う私の思いとは裏腹に、足腰だけでなく、内分泌、そしててんかんと、むさしの身の上には次から次へと病気が重なっていきました。
数え切れないほどの検査をしてたくさんの治療を受けました。脳下垂体に異常があることが全ての原因ということまで分かりましたが、それでもむさしは一度も普通の犬にはなれませんでした。
てんかんの発作が起きると、53キロの大型犬のむさしを一人では車に乗せられず、高校にいる息子に「すぐ帰って」と頼みました。
朝だろうと夜中だろうと具合が悪くなればいつでも病院に連れて行きました。
何とか助けたいと必死になっている私に息子は、「犬にそんなに夢中になって、ばかみたい」と言いました。
「お母さんが手を放したら、むさしは死んでしまう」と言っても、信じられなかったのだと思います。
口に出して文句こそ言わなかったけれど、私を見つめるその心が冷たくて、面白くない胸の内が無言で私に伝わっていた主人は、二人の間で穏やかに幸せそうに寝ていたむさしが突然てんかんの発作を起こし、初めてその発作のむごさを目の当たりにした瞬間から、氷が溶けるように理解を示してくれるようになりました。
私が一人で頑張っているより、むさしがどんなに嬉しかっただろうと思います。
てんかんの重積発作が止まらず、ピンクから薄紫へ、紫から黒へと ベロの色が変化して、更に一晩病院でも発作を繰り返して、むさしは帰らぬ人になりました。
たった1才4ヶ月、一人で天国にいけるのだろうかと思いました。
むさしが亡くなって、葬儀場まで後部座席でむさしを抱いていってくれたのは主人と息子でした。
骨が焼きあがって骨壷に入れる時、息子は「一つ貰ってもいいかな」と言って、小さい骨を大事そうに手の中にしまいました。むさしは私に大きな大きな愛情を残してくれたけど、息子にも大切なものを残してくれたのだと思いました。
むさしを見ていて、そんなに長生きは出来ないだろうと思っていました。
だから、『一日一日を本当に大切に過ごそう』、『10年一緒にいるつもりで飼ったのだから、10年分の愛情と時間とお金をかけて絶対に後悔しないようにしよう』と思ってやってきました。
でも何の役にも立ちませんでした。
むさしが居なくなったのに「日常」があることが受け入れられませんでした。
胸がかきむしられる様に痛くて、心が張り裂けそうでした。
家の周りの全ての道をむさしと歩いていたので、外へ出られませんでした。
人に会ってむさしのことを尋ねられるのが嫌で、車で遠くのスーパーに行くのに、通る道、曲がった先にむさしとの思い出があり、毎日泣きながら運転していました。
毎日毎日、むさしの写真を見て泣いていました。
その時、娘は大学受験のセンター試験の真っ最中でした。
くたくたでリビングに入るといつもお母さんが泣いていて辛かったと後になって話しています。
その、自分でも一番大変な時、私の泣きながらの話を黙って聞いてくれたのが娘でした。
娘を思いやる余裕どころか、娘がいなかったら私自身どうなっていたかさえわかりません。
そんな生活を続けて何十日も経った頃、ふとこんな考えが浮かんだのです。
「世界中に、私と同じ位むさしを愛せた人はいるだろう。でも、私以上にむさしを愛せた人はいない。だから、むさしは私のところに来て幸せだったのだ」と。
そう思えた瞬間、苦しみや痛みが変わりました。
消すことが出来なかった後悔の念や、私で良かったのかという辛い思いが、
「むさしは幸せに暮らせたよ。だって、あんなに愛されたんだもの」へと変わり、
胸の痛みが、ありがとうの心に変わっていったのです。
むさしにはたくさんの大切なものを貰いました。
愛して愛して愛しても足りないくらい、犬達はたくさんのものを私に与えてくれます。
むさしがそれを教えてくれたのです。
すっかり犬の魅力にはまってしまった私、知らず知らずに犬も増えて、とうとう四匹の犬達と暮らすようになりました。
娘は私を 「犬の世界へ行ってしまった人」と呼びます。
確かに私、いき過ぎです。
でも、犬は独立しませんから・・・。親から離れていきませんから・・・。
娘と息子よ・・・、 二人が独立しても大丈夫!
これからも お父さんと二人、犬達と楽しく仲良く暮していきますから。
お父さんもお母さんもまだまだ頑張らないとね!
私の愛おしい ”むさし”君・・・ ほんとに優しい、可愛い子でした
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